・政景の次男
・人皇百六代後奈良院弘治元年乙卯十一月二十七日辰刻上田城に於いて誕生。乳名は卯松。
・永禄2年 5歳で上田より三条へ御引取り。謙信公の御側に近侍し給う。
・同年 卯松元服。喜平次顕景と名乗る。
・永禄4年 政景、舟遊び中に溺死。諸氏は救援に向かったがその甲斐なし。
遺骸は上田の禅宗楞厳寺(りょうごんじ)に送葬す。当寺三代長可和尚御導師たり、宗得院殿匠山道宗大居士と号す。
子供は2男2女。長男は右京亮義景、次男は喜平次、一女は上条弥五郎義春に嫁す、二女は北条景虎三郎に嫁す。
政景の溺死を聞いた謙信は大層驚き、宮嶋三河守を召して喜平次を保護する。
上田衆は沼田、飯山、市川の砦を分けて守った。残る諸士は、上田に差し置かれ、義景に従属し軍事を勤務した。
あれ、義景が生きてる…?
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