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自分用歴史メモ。

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1579 7/18 大宝寺義氏、信長に馬と鷹を送る(信長公記)

3/5 山辺宛七守雅楽助氏信書状写(義氏の家臣)
 大宝寺が鮭延の田之沢を落城させ、地下の者の籠る近辺の楯4,5箇所を押し払い、新城・古口に陣を手配した
 →山辺が大宝寺に味方していた?

? 乙坂左近宛義氏書状写
「まむろ前にてひるいなきはたらき・・・詳しくは前森蔵人申上げ候」

「板垣河内覚書」
天正9(1581) 7/21
「まむろの地に籠り、新城前にて天正九年七月二十一日の合戦に首壱つ取り申し候、但し新城譜代の者に候」
天正10(1582)
「 鮭延田ノ沢にて天正十年の合戦に首壱つ。ただし最上譜代の者に候」

7/12 金沢殿宛義氏書状写(横手市史119)
鮭延中の備えの事も涯分下知に及ぶべく候、少しも心もとなくあるまじく候
(鮭延はおおむね支配し、少しも心配していない)




7/24 大高筑前守宛杖林斎禅棟書状(荘内史料集1 247)
鮭延口の儀、山形より一和の取りなしにおよばれ候間、無事に属せし候間、御心安かるべく候



4/8 下国愛李の家臣大高筑前守宛杖林斎禅棟書状
「(由利へ)内々に今度鉄炮の者共三十人差し下すべきの由申しつくるの処、去る三日清水へ調議を致し、不慮に相当り則ち彼の物主義氏を抱え取り候。然る条彼の親類二三十ヶ処在城を構えられ候衆、悉く此方へ罷り出でられ候、家風に候長沢と号(よ)ぶ仁罷り出でざる故、一二ヶ所いまだ罷り出でず候。これにより庄中の諸士払いて相立ち、手透なきの条、鉄砲十四五丁差し下し候。爰元の儀、当月中に悉く本意に属すべきの条」

訳:三日に清水を攻撃し、城主の義氏を捕らえた。そのためその親類2、30ヶ所の城衆が従うようになった。しかし長沢氏が出ないために1、2か所がまだ従わないので余裕がなくなり、由利への鉄砲は14,15丁だけ送るようにした。清水は当月中に思い通りになるだろう。




菊月17日 「狩川駅宛土宮内少輔氏慶書状写」(庄内史料集1 241)
「今度鮭延への人数相立つべきため、藤島の地へ罷り越し候。其許よりも御太儀ながら相立てられ候由、杖林兼々申し越ささるの由に候。左様に候わば、明朝早々相立てられもっともに候」
鮭延攻めの出陣人数を決める為?、狩川駅に出陣を要求する。



閏5/7 山吉孫次郎・直江大和守・柿崎和泉守宛杖林斎禅棟書状(庄内史料集1 234)
 「仰せの如く今度本庄にむけて、御屋形御自身御馬を進められ候条、内々急度御加勢におよぶべく候処、清水・鮭延数ヶ所に番手指し置き、手透なきにより、少々御助勢に及び候」
大宝寺、清水・鮭延に番手を置いて支配する(南陽市山吉文書)
(繁長の乱時の事だから永禄12?(1569)繁長降参は永禄12の2~3月)


8/18 雨順斎御宿所宛義氏書状(庄内史料集2 179)
横山城(三川町)や高坂楯(鶴岡市)が戦場となり、小国氏が加担していたので30人ほど成敗を加えた。

8/27 本庄殿宛義氏書状
今回竹井成敗のこと、土佐林家風の者どもは降参したので助けたが、櫻井をはじめ一両人は谷地館に籠り、清水に内通したためただちに陣中を破り、こちらも火の手を上げ、昨日26日に押し寄せて落城させた。籠城していた桜井を始め100人ほどを一人も残さず殺した

(この二つは雨順斎時代だから1570~?)



2/4 天童殿宛楯岡満茂書状写(横手市史 史料編中世補遺一)
鮭延滅亡のおり、延沢氏と仲が良かったため助勢出陣したが、鳥越は落城し、新城も中楯まで破られ放火された。さらに猿羽根は降参し、残るは清水城など二城のみとなった。


8/7 大崎殿宛義光書状(古川市史第七巻資料2 or 横手市史史料編)
鮭延が日増しに逼迫していくので嘆かわしい、捨て置くこともできないので自分一騎でも出陣したいと思っているが、伊達の中山要害に備えるので余裕がなく、手が空いてるなら是非助勢を願いたいが、その際には庭月氏を遣う
→最上と大崎の間で庭月氏についての婚約があり、庭月が最上配下になっていたのでは?
庭月氏は天正六年以前から最上家臣に?
大崎と最上が手を組んだ(婚約した?)ことで、大崎に庭月の支配を一任した?


天正元年(1573) 8/16 「羽州庄内村山郡山形城主源五郎義光家臣 鮭延越前守家次(花押)」書状
(平田町 平松氏所蔵、山形県史 古代中世史料2 386)



天正5 閏7 大崎義隆、庭月式部少輔に川口名跡を宛行う(楓軒文書纂所収文書) ※文書要出典(保角氏の本より抜粋) (楓軒文書纂:文化・文政年間(1804‐30)に編集した模写古文書集)
大崎が庭月に安堵できる状態だった、「仍執達如件」と奉書形式を使用。つまり「上意を受けて」安堵した。


天正六年極月十五日「木次孫四郎充義氏書状写」
逆心した木次氏に対して知行を宛がう。


5/2 「庭月殿宛義光書状」(横手市史 史料編 古代・中世)
鮭延が我侭を致すので氏家尾張守を遣わして成敗することにした。其方はしばらく音沙汰がなかったので鮭延へ同心していると思っていたが、此の度奉公に出てきてくれてとても嬉しい。
私が着ていた着物を寄越すので、それを着て尾張に会ってくれると嬉しい。


梅月(5月)19日 「西野修理亮殿宛義光書状」
 「真室の儀我儘致すにより、此度氏家尾張守代官として申しつけ候て、余儀なく取り鎮めさせ候」(横手市史 112)


梅月(5月)27日 「」(片倉文書)(山形県史?)
「鮭延の儀、祖父代より根絶致したく存じられ候。其憤の末をもって、今般輙ち(すなわち)対峙せしめ候」

6/14 「三坂越前守殿宛義光書状」(庄内史料集1 309)
「我々家中、清水と呼ぶ地へ、大宝寺より慮外致すに依り、清水の者共、其報戦に及び候間、少々加勢、彼庄過半手に属(つ)き候」
義光が鮭延掌握もめどがたった状態だったことを示す。



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年不肖2月5日 鮭延入道舜与書状(落合文書)
※落合氏―大宝寺義氏や土佐林禅棟らが小野寺家臣に宛てたものや小野寺→落合への書状など、庄内・大宝寺と関わり合いが深い。この書状は永禄年中推定(1558~1570)
稲庭殿への書状。
舜与の元に長々と御越してくれた例と、雪解け後は直接挨拶に行きたいという旨を書いた手紙。
使者は関口民部少輔と添えている。




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天正16(1588) (鮭延寺開基之縁起)
小野寺氏と六郷氏の合戦のさいに秀綱は山田に入り和議を取り結ぼうとしたところ、不慮の儀によって合戦が起き、この対陣中に上杉の庄内侵攻があって義光から帰陣するよう命令を受けて戻った

※ちなみに十五里ヶ原が1588年8月なので年代的には一致。

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天正十二年(1584)?2/21 関口能登守宛義光黒印状
 しばらく関口からの音信がなく心変わりしたのか不安だったが、音信を貰って安心した。凄く嬉しい
また、蔵増安房守(村上郡小国城主))が能登と義光をとりもっていたこともこの書状からわかる。



6/17 小野寺義道→次男の保道への書状(秋田藩家蔵文書)
「我々母方名字佐々木而候、鮭延越前にて候へ共、子共も無之相果候、関口能登筋も今ハ無之候間、左様候ヘハ絶候間、母方之名字ヲつかせて、以来ハ佐々木新右衛門と名乗候へと申遣候、其心得尤候」
小野寺義道が子の保道にあてた書状にて「われわれの母方の名字は佐々木。鮭延越前がそうであるが、子供もなく絶えようとしている。関口能登の筋も今はなく、このままでは佐々木の名跡が絶えてしまうから、母方の名字を継いで佐々木新右衛門と名乗るよう申し遣わした」
佐々木新右衛門は義道の子の宮内である。
「稲庭城主小野寺家系」では、義道の母を大宝寺義氏の娘とするが、この書状だと佐々木氏。(横手市史)

関口能登…平鹿小野寺氏の臣に名前あり。仙北。系図によれば関口氏は藤原姓で、佐々木氏とするなら源氏のはず。

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・秀綱は大山氏小姓になったらしい。要出典

・秀綱兄 1569年22歳死去。生まれは1547?秀綱と15歳くらい離れてる。…母が違うのかも?

・鮭延城記だと、秀綱の兄は「痘瘠」で亡くなったようだ。痘瘡?

・「信太殿いはいは長林寺に立置候 栗太殿先祖の事は不存候…いはい則清源寺に相立」 柿崎能登守書状
 これ家老の二人の事?

・鮭延城在城中、秀綱は毎年彼岸会(ひがんえ)を開催し、百万遍の大念仏供養をしていたそうだ(鮭延城記)

・正源寺所蔵の「鮭延越前守系図」では秀綱の生年なし。兄の没時は鮭延城記と一致。
・両法院殿雷翁花公居士 慶長廿年六月越前守子息左ェ門尉 1605年
・任称院殿鏡庵明公大姉 越前守秀綱老母
・ 影響院古柏宗庭大姉(室)
・ 清庵院梅宿妙玉大姉(妻)

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