・秀綱は大山氏小姓になったらしい。要出典
・秀綱兄 1569年22歳死去。生まれは1547?秀綱と15歳くらい離れてる。…母が違うのかも?
・鮭延城記だと、秀綱の兄は「痘瘠」で亡くなったようだ。痘瘡?
・「信太殿いはいは長林寺に立置候 栗太殿先祖の事は不存候…いはい則清源寺に相立」 柿崎能登守書状
これ家老の二人の事?
・鮭延城在城中、秀綱は毎年彼岸会(ひがんえ)を開催し、百万遍の大念仏供養をしていたそうだ(鮭延城記)
・正源寺所蔵の「鮭延越前守系図」では秀綱の生年なし。兄の没時は鮭延城記と一致。
・両法院殿雷翁花公居士 慶長廿年六月越前守子息左ェ門尉 1605年
・任称院殿鏡庵明公大姉 越前守秀綱老母
・ 影響院古柏宗庭大姉(室)
・ 清庵院梅宿妙玉大姉(妻)