<本庄氏記録>
千代猪丸十三歳ナレハ 長資ヲ討戮スヘキ時節至リ 家中ノ志士 古主ノ仇ヲ報ス然而 小川カ長臣等
荒山ノ館ニ籠リタルヲ 押寄誅之 翌日ヨリ鮎川清長カ居館ヘ押寄セ攻之 是又天文八年父ノ讎(あだ)ニ仍テ也
<反町文書>
天文20年10月×日
勝長→岳椿斎・繁長
証文案。小河が切腹したことで本庄と鮎川に隔たりが出来た。その事で色部がとりなして和解させるというもの。
大川、大宝寺のつくろいをもって、両者から退散した者の仲裁をした。
天文20年10月
繁長(?)→勝長×日
度々従鮎川鉾楯無極候儀、雖無念候、…
鮎川の矛盾ぶりには腹が立つけど貴方の意見での和睦なら仕方ない、的な?
他の起請文にも似たような鮎川批判っぽいのがある。
<飯沼文書>
天文15年千代猪丸宛行書状
3/24 返々、先年於下渡ヶ島少地任申付候、相違之間、只今此分相渡候、…
この前下渡島の土地を宛がったけど行き違いとかがあったので、下渡島の代わりにこちらの土地を宛がいます、という内容?
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